【文献番号】27760541
森林法違反公務執行妨害傷害被告事件
昭和二六年(あ)第三九五三号
同三〇年一二月一四日大法廷判決
上告人 被告人 田本忠一
弁護人 中野道
主 文
本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理 由
弁護人中野道の上告趣意第一点について。
所論は、刑訴二一〇条が、検察官、検察事務官又は司法警察職員に対し逮捕状によらず被疑者を逮捕することができることを規定しているのは憲法三三条に違反するというのである。しかし刑訴二一〇条は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足る充分な理由がある場合で、且つ急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができるとし、そしてこの場合捜査官憲は直ちに裁判官の逮捕状を求める手続を為し、若し逮捕状が発せられないときは直ちに被疑者を釈放すべきことを定めている。かような厳格な制約の下に、罪状の重い一定の犯罪のみについて、緊急已むを得ない場合に限り、逮捕後直ちに裁判官の審査を受けて逮捕状の発行を求めることを条件とし、被疑者の逮捕を認めることは、憲法三三条規定の趣旨に反するものではない、されば所論違憲の論旨は理由がない。
同第二点並びに弁護人森一朗の上告趣意はいずれも量刑不当の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて刑訴四〇八条、一八一条により主文のとおり判決する。
この判決は弁護人中野道の上告趣意第一点について,裁判官斎藤悠輔並びに同小谷勝重及び同池田克の各補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
弁護人中野道の上告趣意第一点についての裁判官斎藤悠輔の補足意見は次のとおりである。
憲法三三条中の「現行犯として逮捕される場合を除いては」とある規定並びに同三五条中の「第三十三条の場合を除いては」とある規定は、アメリカ憲法修正第四条と同じく、合理的な捜索、逮捕、押収等を令状を必要とする保障から除外する趣旨と解すべきものと考える。されば、右憲法三三条の除外の場合には、刑訴二一二条一項の現行犯逮捕の場合は勿論同条二項のいわゆる準現行犯逮捕の場合及び同法二一〇条のいわゆる緊急逮捕の場合をも包含するものと解するを相当とする。従つて、右二一〇条一項後段の場合に逮捕状が発せられないとき、すなわち逮捕につき令状の裏打がないときでも逮捕そのものは適憲であるとしなければならない。
弁護人中野道の上告趣意第一点についての裁判官小谷勝重、同池田克の補足意見は、次のとおりである。
憲法三三条は、逮捕の要件を規定して、原則として、権限を有する司法官憲すなわち裁判官が発したもので、且つ逮捕の理由となつている犯罪を明示した令状によらなければならないとしているが、このように裁判官だけに令状を発する権限を与えているのは、裁判官は公正な立場に在る者であるが、捜査の権力をもつた者は、往々にして権力を濫用しがちであつたという過去の歴史的経験によるものであること、所論のとおりであると考える。しかし、それだからといつて、令状主義の原則をもつて捜査を規律して例外の場合を一切否定することは、捜査上迅速に被疑者の保全を必要とする場合があり、そのために被疑者を逮捕することもやむを得ないと認められるようなときでも、これが許されないこととなり、捜査を全うし難いこととなるのであつて、憲法は、かかる場合の要請の合理性を認め、現行犯(本来の現行犯といわゆる準現行犯とを含むものと解する)の場合には、裁判官の発する令状によらないでも逮捕できるものとして、令状主義の保障からこれを除外しているのである。蓋し、事態の性質上、急速を要するばかりでなく、犯罪の嫌疑が明白であつて、裁判官の判断を待つまでもないからである。してみると、この理は、現行犯に限らず、その以外の右に準ずる場合についても考えられるところであつて、刑訴二一〇条のいわゆる緊急逮捕は、あだかもその場合にあたるものとして認められたものと解釈されるのである。すなわち、同条の規定するところによれば緊急逮捕のできる場合は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の自由刑にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由があり、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときに限られているばかりではなく、その上になお、逮捕にあたつては、被疑者に対してその理由を告げなければならず、逮捕後は、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならないとされているのであつて、これによつても明らかなとおり、犯罪の嫌疑は、当該捜査機関の主観的判断では足らず、客観的妥当性のある充分な理由の存する場合であるから、現行犯の場合に準じて考えられる明白な根拠をもち、裁判官の判断を待たないでも過誤を生ずるおそれがないものとしなければならない。
それにも拘らず、刑訴法が逮捕後直ちに逮捕状を請求して裁判官の判断を受くべきものとしているのは、現行犯のような羅馬法以来の伝統に由来するものでないために、法律は、謙抑の態度をとつたことによるものと解されるのである。されば、刑訴二一〇条の緊急逮捕の規定は、令状の保障から除外している憲法三三条の場合の枠外に出たものではなく、同条の除外の場合を充足したものと認めることができるから、適憲であると解するを相当とするものと考える。のみならず、憲法上逮捕は、被疑者の身体を拘束し、これを必要な場所へ引致して留置する継続的性質をもつた行為であることからみると、被疑者を拘束してから直ちに裁判官の逮捕状を求めて逮捕状が発せられたときは、なお且つ逮捕状による逮捕と認めることを妨げないとも解されるのであつて、右いずれの点からみても、違憲の主張は理由がない。なお、緊急逮捕は、その効力の消滅を裁判官の逮捕状が発せられないときにかからしめられているものと解すべきであるから、逮捕状が発せられなければ、逮捕はその効力を失い、直ちに被疑者を釈放すべきであり、刑訴二一〇条一項後段は、この当然の事理を規定したものに外ならない。
(裁判長裁判官 田中耕太郎 裁判官 栗山茂 裁判官 真野毅 裁判官 小谷勝重 裁判官 島保 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 藤田八郎 裁判官 岩松三郎 裁判官 河村★介 裁判官 谷村唯一郎 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎 裁判官 入江俊郎 裁判官 池田克 裁判官 垂水克己)
弁護人森一朗の上告趣意
原判決は量刑甚だしく不当でありまして、刑事訴訟法第四百十一条により破毀されるのが相当と信じます。即ち、
第一事案の森林法違反は被告人が山中の他人の棕梠皮を勝手に自宅へ持ち帰り処分した事実でありますが、(一)事実は犯罪として寧ろ軽微であること、(二)被害者平井多津市に対して完全に弁償が出来ていることは記録に示す通りでありまして実被害は無いわけであります。
第二事案の前項記載の森林法違反容疑で被告人を緊急逮捕に向つた酒巻、阿川両巡査に被告人が抵抗して酒巻巡査の口腔に指を突込んで傷害した事実については、(一)右両巡査にも過誤があつたのでありまして、被告人に緊急逮捕の理由を諭示せず、被告人が病気ですから一日間の猶予を求め必らず出頭します、逃げも隠れもしない身体でありますからと懇願するを斥けて逮捕を強行し、(二)酒巻巡査が被告人に組ついて被告人を咽喉締めせんとしたので、苦しさの余り手を突き出したのが運悪しく同巡査の口中に入つたわけでありまして、被告人が意識して積極的に与へた犯行ではありません。(三)犯状は真に偶発的のものでありまして再犯の虞れ全然ありません。(四)本件は昭和二十四年三月下旬頃の事件でありまして、爾来三年有余の歳月を被告人は謹慎して送つて来て居るものであります。
以上の如き情状でありますから被告人を実刑に処せられることは過酷でありまして、我国法の精神に副はないものと思料しまして上告に及んだ次第であります。
弁護人中野道の上告趣意
第一点 原判決は其の理由に於て、「緊急逮捕なるものは憲法違反であるとの点について、刑事訴訟法第二百十条は検察官、検察事務官又は司法警察職員は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りるに充分な理由がある場合で急速を要し裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げ被告人を逮捕することができる、この場合には直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない。逮捕状の発せられないときは直ちに被告人を釈放しなければならないと規定して緊急逮捕を認めているが、かような緊急逮捕もやはり逮捕状による逮捕と考えるべきであつて、憲法第三十三条の精神に反するものとは解せられない。緊急逮捕と刑事訴訟法第百九十九条の通常逮捕との差異は、逮捕状の発付が逮捕の事前であるか事後であるかの点である。しかも事後とは言え、逮捕に接着した時期において逮捕状が発せられるかぎり、逮捕手続としては全体として逮捕状に基くものと言うことができる。従つて、緊急逮捕は必ずしも憲法第三十三条に違反するものではない。」と説示した。即ち、原判決は緊急逮捕の合憲性を肯定した。
しかし、憲法第三十三条は「何人も現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ逮捕されない」と規定している。右要件を欠く一切の逮捕は、すべて憲法違反であると謂わねばならない。刑事訴訟法第二百十条は、憲法の何等の許容なくして製作された違憲無効の規定であると謂わなければならない。右憲法の趣旨は、従来の旧憲法時代の官憲による職権濫用を防避するため特に作成されたのである。この事の経過を考え本件記録を閲するとき、われらはますます明かに右憲法規定の意義の重大性を痛感し、右刑事訴訟法の規定の反憲法性を知るのである。本件の被告人(当時被疑者)は純朴なる農村に於て一家族を有し一定の住居を持ち、事案の内容も被疑者自ら之を了知していたー農民である彼が山の棕梠皮を剥ぎとつたと謂う事件にすぎないーのであるし証拠も十分にあることも知悉していたのであつて、此の被疑者が何の故をもつて逃亡するか、良識ある者の到底考えられないことであつたのである。実にかかる場合に緊急逮捕の危険性、反憲法性があるのである。即ち正に本件の緊急逮捕は官憲の職権濫用であつたのであり、かかる場合を予見して従来の弊害を一掃せんとした精神は刑事訴訟法第二百十条によつて蹂躙されたのである。右の通りであるから、原判決は刑事訴訟法第四百五条第一項第一号に該当する違法があり、原判決は此の点に於て到底破棄を免れないものと思料する。
第二点 原判決量刑の措置は甚しく不当であつて、之を破棄しなければ著しく正義に反するものと思料する。
そもそも本件被告人の行為は森林法違反の外、公務執行妨害、傷害両被告事件が附加して居るのであるが、刑事司法に於ける正義が実現され、当初より正常なる逮捕手続が施行されたならば、森林法違反の一罪をもつて措置されたのであつた。しこうして事の起りは被告人が検察官に対して、「七、その二人が私家に来ましたときに私は胸と頭が病んでねて居りましたので一日位延して貰をうと思つたので待つて呉れと云うたが、どうしても今日逮捕すると云うので起き出て見ましたら川井駐在の巡査が杖を持つて居りましたので私はそれを見てくわつと腹が立つたので云々」(検察官作成第一回供述調書中)と供述している通り、病臥中の被告人に必ずしもしかく緊急を要しないと認められる事情にある本件に於て殊更に対抗意識を生ぜしめたこと明白であり、被告人の傷害等の行為の責任は大半は被告人以外の者に在ることを知り得るのである。而も森林法違反の点については被告人は、「私は生活に困り配給を受けるお金も不自由で、悪いこととは思ひ乍ら」(司法警察官に対する第一回供述記載中)本件所為に出たものであつて、情状必ずしも多く咎めるに当らないのである。尚事情として、被告人は人生四十年の今日迄未だ嘗て何等の前科もなく、被害も弁償して、悔悛の情を示しているのである。かかる被告人に対する第一審判決の量刑、又右量刑を維持した原判決の措置は、甚しく重きに失し正義に反するものと思料する。